ペーパードライバーのための運転哲学
運転哲学というと何か難しい感じがしますが、運転に対する、もしくは向かう姿勢や考え方、構えと言えば解りやすいと思います。ペーパードライバーの方が抱く恐怖感の一つに運転に対する構えや考え方の問題があります。危険と隣り合わせの運転行為を真面目に考えると確かに恐怖感でいっぱいになるのは仕方がないように思います。被害者になるのも嫌だし、ましてや加害者になるなんて絶対嫌だと考えるのはまともな思考です。しかしこの恐れから運転に対し強い恐怖感が芽生えてしまうようです。危険なことに向かう哲学、考え方、もしくは覚悟がしっかりしていなければ強い恐怖感から逃れる事はできません。正しい哲学を持つためには正しい知識がベースになければなりません。物事を深く考える習慣の無い方は悩むこともなく運転できるようですが、いろいろ深く考えたり想像する方は不安と恐怖感に取りつかれるようです。その多くの恐怖感に悩む方は間違った知識により考え方や構えが正しく構成されていない事も一因のように思われます。例えば加害者になると必ず刑務所行く等の非常にまれな例をすべてそうなると思っている方も多いようです。特に女性の方は加害者になる事の恐怖感が強いようです。怖い事に向かう時は、覚悟が必要です。それは結果に対する責任を取る覚悟というものです。覚悟がなければ逃げたくなるのは当然と言えます。人は失敗や間違いをするものです、だから間違えないように真面目な努力をして出た結果に対して責任を持つ覚悟が必要だと思います。日頃の生活態度や努力のスタイルがおおよそ真面目であれば結果はほとんどの場合良い方向であり、たまたま悪い結果が出たとしても周囲は正しく理解してくれるものではないでしょうか。恐怖が伴う事に対しての心がけは先の事は判らないのだからと、何も考えずに望むか、あらゆる事象を想定し解決策もしくは覚悟をもって臨むという他の方法はないようです。車はハンドルを回せば曲がり、アクセルを踏めば走り、ブレーキをかければ止まるのだからと単純に考えられればペーパードライバーにはならなかったのではないでしょうか。ペーパードライバーになってしまう素質として深く広い思考習慣が大抵の習得作業の初期の心理を悩ませているように思えます。かつて人は未来の恐怖に向かうには多くの知識を持っていない事から神に頼るしかありませんでした。しかし現代は多くの知識を得る事に成功し、その知識によって事前の予測や安全を手に入れる事ができました。ただ知識は良い結果のみならず悪い結果の予測さえ教えてくれることとなり、新たな恐怖感が生まれ、それが人を苦しめる事になるというのは皮肉なものです。法を守っていれば安全は守られるという幼い思想と厳しい現実とのギャップに恐れを抱いている方もあります。法や資格、マニュアルという知識は、目的の最低を保証するに過ぎず最高を求める事は不可能なのです。正しい知識とその活用の哲学を身に付ける事は運転の恐怖感を少なくさせるのみならず覚悟という構えのために大きな役割を果たすようです。知識は必然を神は偶然を掌るというのが少なからず現代を生きる人の構えといえるようです。恐怖感は偶然に対する覚悟の欠如からくると言っても過言ではありません。神に祈るか覚悟を持つかが最終の運転の構えではと思われます。