運転は才能か
運転は努力か才能か
よく私は運転の才能がないから上手くならないとか、彼は才能があるから上手いなどという言葉を聞きます。本当に運転は才能なのでしょうか。生まれつき体を動かすのが得意とか、話すのが得意というのはあるかもしれません。しかし片や子供の頃、まったく人前で話せなかった方が大人になって多くの人の前で上手に話しているという事実も耳にします。いったい才能とはどんなものなのでしょうか。
生まれつき運転の才能がある人って?
辞書などによると生まれつき備わっている能力とされています。運転の能力が生まれつきあるとは考え難いと思います。しかし初めて運転をした人たちの間に差があるのは確かです。これは才能でしょうか。ここから先は推測の話になりますが、運転は多くの記憶の集大成です。おそらく運転に関する記憶が初めてハンドルを持つまでに、どれだけたくさん身に付いているかなのではないでしょうか。基本の記憶が整理されている方はその後の記憶が身に付きやすく上達が早いため才能という言葉で表現したのではないでしょうか。
努力は才能を越えられるか
では仮に才能があまり無い、いわゆる記憶があまりない方は才能(記憶)のある方には追いつく事は出来ないのでしょうか。でもあのエジソンもこう言っています。天才は1%の才能と99%の努力と。どんなに才能があっても努力なしに目的が達成されることは無く、才能がなくても努力でそれを補えるという事ではないでしょうか。ハンドルを早く回す事や、足を素早く動かす等は、確かに生まれつきの能力が関係するようですが、運転中に素早い行動が要求されるのは極僅かな場合に限定され、人の平均的な反応時間は0、75秒と言われていますが、それほど人による差は無いようです。むしろ反応時間より、危険を察知する早さが問題なのです。早く危険を察する、もしくは予想すればゆっくりと対応できるのではないでしょうか。